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8月16日お誕生日の有名人:ダルビッシュ 有様

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ダルビッシュ 有様 お誕生日おめでとうございます。

ダルビッシュ・セファット・ファリード・有(1986年8月16日)は、大阪府羽曳野市出身のプロ野球選手(投手)。
右投右打。ロサンゼルス・ドジャース所属。
マネジメントはエイベックス・スポーツ。
代理人はワッサーマン・メディア・グループとKDNスポーツ。

家族
父親は元サッカー選手で、母国イランの「イラン野球連盟」顧問に就任している他、事業を手広く扱っている。
出生時はイラン・日本の両方の国籍を持つ多重国籍者だったが、日本国内の国籍法の規定(多重国籍者の国籍選択制度)に基づき22歳の誕生日に日本国籍を選択した。
父親が共同経営するジャイレックス(大阪市住之江区)が「ダルビッシュ」の名称の商標を出願(商願2003-103566号)し登録された(登録番号:第4796097号)。

現在の妻は格闘家の山本聖子で息子が2人いる。
山本とは当初は事実婚だったが、後に入籍し正式な夫婦となった。

また元妻でタレントの紗栄子との間にも2人の息子がいる。
元俳優のKENTAは弟である。

経歴
プロ入り前
イラン人の父と日本人の母との間に生まれる。
幼少時代、幼稚園に入るまで英語を使っていた。
小学生時には野球の他、アイスホッケーも行っていたが、後に野球のみに絞る。
全羽曳野ボーイズでは中学校3年生時にエースとして全国大会ベスト8、世界大会3位という成績を収め、東北高等学校に2002年4月に入学した。
同校には2年先輩で、その後ヤクルトに入団した高井雄平がおり、目標としていた。

入学後いわゆる成長痛に苦しみ別メニューを行っていたが、1年生秋からエースに就いた。
2002年11月15日に行われた明治神宮野球大会の平安高校戦で全国デビューし、被安打7、12奪三振で完封勝利を飾る。
球速は最速147km/hを計測した。
3年生の2004年6月27日の横浜高校戦(秋田県立金足農業高等学校主催の招待試合)では自身初150km/hを計測している。

甲子園には2年春夏、3年春夏と4度出場。
2年春は開会式後、女性に握手を求められた際強く引っ張られ右棘下筋痛で全治2週間と診断される。
結果3回戦で花咲徳栄に敗退。
2年夏は1回戦で腰を痛めるものの決勝進出。
決勝で坂克彦を擁する常総学院に敗れて準優勝。
大会後に野球部キャプテンに就任。
3年春では1回戦で熊本工相手に史上12度目・10年ぶりとなるノーヒットノーランを達成する。
しかし2回戦を前に今度は右肩を痛め、準々決勝に登板せず敗北。
最後の夏の甲子園では1回戦から2試合連続完封。
3回戦でも千葉経大附相手に8回まで無失点に抑えるも、今大会通算27イニング目となる9回に初失点を喫し、その後延長戦の末敗戦。
自身が最後の打者となった。

10月末の段階ではプロ野球再編問題に伴い出身高校所在地の宮城県を保護地域として参入手続き中だった仙台ライブドアフェニックスと
東北楽天ゴールデンイーグルス(11月2日に楽天のみ新規参入決定)、
出身地と同じ関西所在のオリックス・ブルーウェーブ(12月1日に大阪近鉄バファローズと合併してオリックス・バファローズ)、
さらに北海道日本ハムファイターズの計4球団がダルビッシュの獲得意志を明らかにしており、注目度ナンバーワン、松坂大輔以来の怪物などと評されていた。
11月17日に開催されたプロ野球ドラフト会議では日本ハムに単独1位指名され、12月17日に契約金1億円、年俸1500万円、出来高5千万円で仮契約を結ぶ。
2004年ドラフト指名選手の中で最後の入団決定だった。
高校通算成績:登板67、投球回332 1/3、奪三振375、防御率1.10
甲子園通算成績:登板12、完投7、完封4、投球回92、奪三振87、四死球27、自責点15、7勝3敗、防御率1.47
センバツ:登板4、完投2、完封1、投球回30、奪三振29、四死球7、自責点9、2勝1敗、防御率2.70
選手権:登板8、完投5、完封3、投球回62、奪三振58、四死球20、自責点6、5勝2敗、防御率0.87

日本ハム時代
2005年、前年12月の自主トレ中に痛めた右ひざの関節炎の影響で、1月の新人合同自主トレでドクターストップがかかり、春季キャンプは二軍スタートとなった。

写真週刊誌で未成年者にもかかわらずパチンコ店で喫煙していたことが報道された。
それに対し球団は、2月21日に鎌ケ谷市の球団寮へ送還・無期限謹慎と謹慎中の社会貢献活動を命じる処分を言い渡した(2月28日の12チーム合同新人研修会は出席)、
これを受けて東北高校は2月22日に本人を無期停学処分とした(3月1日の卒業式は停学処分期間中で参加できず。3月8日、停学解除を以って他の生徒より1週間遅れで卒業)。

その後二軍でリハビリテーションを続け、5月5日にイースタン・リーグで初登板しその後完封勝利も記録。
6月に一軍昇格し一軍初登板初先発の対広島戦で8回2失点で勝利を挙げると、それ以降先発ローテーションに定着。
14試合に登板し完封勝利を含む5勝(5敗)を挙げた。

なお、この年の喫煙騒動については2012年1月に行われたファン向けの会見兼記者会見で再度謝罪している。
またその会見の中で、初登板・初勝利のヒーローインタビューの際に温かく迎えてくれたことがその後の頑張りにつながったと語っている。
契約更改では年俸倍増の3000万円で一発サインした。

2006年、2月に右肩を痛め出遅れたが、プロ入り初の開幕ローテーション入りを果たした。前述の出遅れの影響で4月までは防御率5.16、WHIP1.45と不振であったが、5月30日以降は自身公式戦10連勝を記録。そのままシーズン終了まで1度も敗戦投手になることは無く、最終的に25試合に登板して規定投球回に到達し防御率2.89、12勝5敗の成績を記録した。7月7日の埼玉西武ライオンズ戦(インボイスSEIBUドーム)では先発を任されたが、ビジター用のユニフォームを札幌ドームのロッカーに置き忘れ、八木智哉のユニフォームを借りて登板し、7回1失点の好投でチームを勝利に導いた。この日の日本ハムは前身の東映フライヤーズが1961年9月に達成して以来のチーム11連勝(球団タイ記録、当時)がかかった試合だった。ちなみにその時本人は「これで負けたら最悪です」とコメントしている[29]。この年の終盤あたりから、相性の良さから鶴岡慎也とバッテリーを組むことが多くなり、2007年も中盤以降からはダルビッシュ登板時の捕手はほぼ鶴岡で固定されていた。

プレーオフでは2ndステージ(福岡ソフトバンクホークス戦)第1戦に先発し、11奪三振1失点完投で勝利。
中日ドラゴンズとの日本シリーズでは初戦を任されるも6回3失点で敗戦投手となる。
3勝1敗で迎えた第5戦に中4日で再び先発し、7回1/3を1失点で勝ち投手となり、チームは44年ぶり2度目の優勝を果たした。
この活躍により日本シリーズ優秀選手賞を受賞した。

アジアシリーズでは台湾代表のLa Newベアーズとの決勝戦に先発。7回10奪三振無失点の好投で勝ち投手となり、シリーズMVPを受賞。
44年ぶり2度目の日本一、アジアシリーズ制覇に貢献した。

契約更改では3000万円から4200万円アップの7200万円プラス出来高払いでサインした。

日本ハム時代(2007年8月29日)
2007年、 初の開幕投手を務めた。
8月9日、札幌ドームで行われた東北楽天ゴールデンイーグルス戦に先発して、4-2で勝ち投手となったダルビッシュは「狙っていた」という試合後のヒーローインタビューで、
サエコとのできちゃった結婚を報告した。

シーズン成績は15勝5敗、防御率1.82、WHIP0.83、被打率.174、完投数は12球団トップの12であった。
シーズン終盤には成瀬善久(千葉ロッテマリーンズ)と防御率争いを繰り広げ、0.003点差で最優秀防御率は逃したが、
今中慎二以来14年振りに全7項目の選考基準を満たして沢村賞に選出されたほか、最多奪三振、ゴールデングラブ賞・ベストナインのタイトルを獲得。
チームのリーグ連覇に大きく貢献し、パ・リーグシーズンMVPに選出。
21歳でのMVPは沢村栄治、稲尾和久の20歳に次ぐ年少記録となった。
北京オリンピック野球日本代表監督の星野仙一からは、代表のエースにも指名された。

クライマックスシリーズ2ndステージでは第1戦に先発登板し、9回2失点で勝ち投手となる。
2勝2敗で迎えた第5戦クライマックシリーズ最終戦でも成瀬相手に勝利し、日本シリーズ進出を果たした。
2勝を挙げて日本シリーズ進出の原動力となったダルビッシュはクライマックスシリーズ第2ステージMVP賞を受賞した。
2年連続で中日と対決した日本シリーズでは、第1戦で先発し1失点13奪三振で完投、川上憲伸との投げ合いを制し勝利投手となった。
1勝3敗で迎えた第5戦で再び先発し7回を1失点11奪三振で抑えるものの、味方打線が山井大介、
岩瀬仁紀のリレーの前に1人の走者も出すことができず(完全試合=継投による達成のため参考記録)敗戦投手となり、
中日の日本一を許したが、この好投が評価されシリーズ敢闘選手賞を受賞した。

契約更改では7200万円から178%アップ、1億2800万円の大幅増の2億円(推定)プラス出来高で一発サインした。
プロ4年目の2億円到達は、5年目で到達の和田毅らを抜いて最速であり、史上最年少の2億円プレーヤーとなった。
月刊女性ファッション誌『GLAMOROUS』同年8月号では初めてヌード写真を披露し、次いで女性誌『an・an』8月号でも、表紙とグラビアに登場し、今度はフルヌード写真を披露した。

2008年、3月20日、2年連続2度目の開幕投手を務め、ロッテを相手に1-0での完封勝利を挙げる。
10奪三振を奪い、開幕戦を1-0で完封した上に、2桁奪三振を奪ったのは史上初の快挙となった。
前年以上のペースで白星を積み重ね、シーズン前半から勝利数、防御率で楽天の岩隈久志とタイトル争いを繰り広げた。
シーズン唯一の直接の投げ合いとなった4月10日には、両者ともに5回までノーヒットピッチングで、
岩隈が100球で被安打3の1失点完投、ダルビッシュが95球で被安打3の完封という投手戦の末に勝利を収めている。
7月17日、東京ドームで行われた対楽天戦では89球10奪三振無四球完投で11勝目を挙げた。
しかし、前半戦最後の登板となった7月24日の対ロッテ戦では165球の完投も、満塁本塁打を浴びるなど5失点を喫して負け投手となった。

北京オリンピック予選リーグでは初戦となる対キューバ戦のマウンドを託されたが、4回0/3を投げて4失点で敗戦投手になる。
試合後は長髪をバッサリと切って、丸刈りにして球場に現れた。
「おれもやるからお前もやれ」と半ば強要されて田中将大も丸刈りにし、田中は「僕は道連れにされました」とコメントした。
ダルビッシュの頭をバリカンで刈ったのは川﨑宗則であり、この翌日には2人に続いて川崎や阿部慎之助も丸刈りとなって球場に現れた。
北京五輪では計3試合に登板し0勝1敗、防御率5.14を記録した。

チームに復帰後は5試合に先発して2完投を含む5勝0敗、防御率1.29、WHIP0.66という投球を見せ、ロッテとの激しい3位争いを制する原動力になった。
クライマックスシリーズでは2試合に登板し、1失点14奪三振完投と3安打完封で2勝、防御率0.50を記録した。
この年は主要タイトルこそ獲得できなかったものの、防御率・勝利数・奪三振の全てでリーグ2位、
五輪での離脱期間があったにもかかわらず投球回と奪三振は2年連続で200を超え、防御率は2年連続の1点台、WHIPも同じく1.00以下を記録した。
沢村賞の選考基準も2年連続で全項目達成したが、21勝という数字を評価された岩隈の単独選出となり、2年連続での選出はならなかった。
基準を全項目達成して沢村賞を獲得できなかったのは基準ができた1982年の江川卓以来2人目となった
(ただし、1982年は沢村賞を受賞した北別府学も基準を全項目達成しているのに対し、岩隈は完投数が選考基準に達していなかった)。

クライマックスシリーズでは1stステージ(対オリックス・バファローズ戦)第1戦に先発し、9回14奪三振1失点で完投勝ちした。
この大一番でレギュラーシーズン後半は控えていたフォークボール、ツーシームを解禁し、速球は最速153km/hを計測。
また、この試合で奪った14奪三振は日本シリーズを含むポストシーズン史上最多となった。
負ければ西武に王手がかかるクライマックスシリーズ2ndステージ第2戦に先発。
右打者が多い西武打線の内角をえぐるツーシームを多投し、この年打撃が強力だったライオンズ打線を3安打完封した。
被安打3はポストシーズン史上最小を記録した。

12月1日、契約更改に臨み、7000万円増の年俸2億7000万円プラス出来高で一発サインした。
プロ5年目としては球界史上最高額となった。
19日(日本時間20日)にはサエコとハワイ・ホノルル市内の教会で挙式を行った。
挙式には、父・ファルサ、同年3月に誕生した長男ら家族のほか、藤井秀悟、川﨑宗則、西岡剛、青木宣親にV旅行中の西武・涌井秀章、中島裕之らが参列して祝福した。

2009年、第2回ワールド・ベースボール・クラシック (WBC) の日本代表として出場し、松坂大輔、岩隈とともに先発3本柱として監督の原辰徳から指名される。
3月5日、日本代表の初戦である中国戦に先発投手として出場し、4回を無安打無失点に抑え勝利投手となる。
また、3月18日の対韓国戦でも先発投手として出場するも、この試合では初回に失策も絡み3失点を喫し、5回7奪三振3失点(自責点2)で敗戦投手となる。
3月23日の準決勝、3月24日の決勝では先発を松坂、岩隈に譲り、いずれの試合も抑え投手として出場し、決勝では勝利投手となった。
この試合では球速100mph(約161km/h)を計時し、現地の放送では108mph(約174km/h)も計時されたが、こちらは球場内の電光掲示板では表示されず誤計測と見られた。
大会通算で13回を投げ、2勝1敗、防御率2.08、大会最多の20奪三振、WHIP1.00の記録を残し、
マニー・ラミレスやケン・グリフィー・ジュニアらといったメジャーの強打者からの賞賛も浴びた。

シーズンでは3年連続開幕投手として岩隈と投げ合ったが、初回にいきなり3点を献上し、9回3失点で自身初の開幕敗戦投手となるとともに、岩隈との対戦で初の黒星を喫した。
4月24日のオリックス戦では苦手と言われ続けた屋外球場でプロ初完封。
その後の試合でも安定したピッチングを続け、5月は4勝0敗、防御率0.90、WHIP0.90の活躍でパリーグ投手部門月間MVPを受賞した。
交流戦では12球団1位の防御率1.15という好成績を残した。
7月15日、ソフトバンク戦(福岡ヤフードーム)の完投勝利後ヒーローインタビューでは第二子を授かったことを公表した。
その後も好成績を持続し、7月22日、前半戦最終登板の対ロッテ戦を9回2安打1失点で勝ち投手となり、自身通算60勝目とした。
通算107試合目での60勝到達は2リーグ制後、高卒の選手としては松坂の111試合をしのぐ最速記録であった。
シーズン前半戦を12勝3敗、防御率1.31、WHIP0.83、122奪三振の好成績で折り返し、この年のオールスターゲームでもファン投票・選手間投票ともに1位選出となる。
7月24日のオールスター第1戦に中1日で先発登板したが、アレックス・ラミレスの投手強襲打が右肩を直撃してしまい、1回を投げ終えて緊急降板した。
以降は防御率2.80、WHIP1.09と調子を崩し、8月21日の対ソフトバンク戦では自己ワーストの6失点(8回)で黒星を喫した。
打球が肩に当たってから、試合後半に球威が落ち、失点する場面が目立ち、内出血が引いた後も肉離れのような硬さがあり、
肩の張りが出やすい状態であったため、翌日の8月22日に右肩の違和感を訴えた2006年6月以来になる故障による登録抹消となった。
9月13日に一時復帰し、対ロッテ戦に先発して8回1失点で15勝目を挙げるも、本来の球速は影をひそめ、その次の9月20日の対オリックス戦では7四球の乱調で5回2失点で降板となり、
その後右肩と腰の違和感により再び登録を抹消され、その後は登板機会もなくシーズンを終えた。

チームはリーグ優勝を果たし、クライマックスシリーズ2ndステージに進出して勝利を収めるが、故障は完全回復せず自身の登板はなかった。
しかし、日本シリーズでは依然不調ながらも、11月1日、第2戦に先発し、巨人を相手に普段は多投しない100km/h台前半のスローカーブを有効に使い、
6回を7奪三振2失点で切り抜け、4-2で勝利を挙げた。
怪我の箇所に負担がかからぬよう、歩幅を狭めてキャッチボールのような投球フォームであったが、最速149km/hを記録した。
お立ち台では「今の状態では出来過ぎ以上。一世一代の投球ができた」と語った。
シリーズ終了後、3年間オフも休まなかったこともあり、病院の精密検査で右手人さし指を疲労骨折していたことが判明した。
痛みは登板した11月1日以前の10月28日からあったが、誰にも告げずマウンドに上がり、右手人さし指の疲労骨折と左腰、左臀部痛の中で巨人打線を抑えて勝利投手となった。

後半戦の戦線離脱があったが、現役の先発投手で唯一となる3年連続WHIP1.00以下をマーク。
最優秀防御率と最高勝率を獲得し、ベストナインとMVPを受賞した。
プロ入り5年以内で2度目のMVP受賞は稲尾和久、イチローに次ぐ3人目の記録である。
契約更改では6000万円増の3億3000万円プラス出来高でサインした。
1997年オフに24歳で3億円を超えたイチローを抜く史上最速&最年少での3億円プレーヤーとなった。
同年7月15日には自ら培ってきた技術を日本球界に還元したいとの思いから、
ベースボール・マガジン社から10種類の球種の握り方と投げ方を写真付きで自ら解説した『ダルビッシュ有の変化球バイブル』を出版した。
同年、山崎まさよし、槇原敬之ら男性アーティストの「泣ける歌」を集めたコンピレーション・アルバム『オトコナキ』のジャケット写真に起用された。

2010年、3月20日、4年連続4度目の開幕投手を務め、ソフトバンク戦に先発。147球13奪三振で史上5人目の4季連続開幕戦完投を果たすも、5失点(自責点3)で敗戦投手となる。
この日はロッテ・成瀬善久、楽天・岩隈久志も完投負けを喫しており、開幕戦3投手の完投負けは1951年に次いでリーグ2度目。
3戦目にしてようやく初勝利を挙げると、4月17日の対西武戦まで、開幕から5試合連続で2桁奪三振という日本プロ野球新記録を樹立した(13K→11K→11K→12K→10K)。
4月24日の対楽天戦から5月21日の対横浜戦まで31イニング連続無失点を記録し、これまでの自己最長の25イニング連続無失点記録を更新。
5月はWHIP1.23ながら要所を抑えて防御率0.90と好投したが、打線の援護に恵まれず1勝2敗と負け越した。
右ひざの違和感により6月5日の先発を回避するが、6月12日の対中日戦では7回無失点の好投で5月1日以来の白星を挙げた。
7月3日の対楽天戦ではこれまでの自身の国内最速154km/hを更新する155km/hを記録。
続く7月17日の同楽天戦では156km/hを記録し、更に自己記録を塗り替えるが、7回3失点で負け投手となり、6月12日からの自身の連勝は5で止まった。
シーズン前半戦は9勝5敗、防御率1.56、WHIP1.04、143奪三振を記録。4年連続4度目のオールスターに選出され、7月23日の第1戦に2番手で登板。
ワンシーム、高速チェンジアップに続く新球を披露するなど、2回を1失点(自責点0)に抑えた。
シーズン後半戦は69回を投げ、3勝3敗、防御率2.22、WHIP0.95、79奪三振を記録した。
自己ワーストとなる8敗を喫した他、4年連続のWHIP1.00以下を逃したが、2008年以来となる投球回数200イニングを達成。
222奪三振で最多奪三振を獲得し、1959年の稲尾和久以来となる4年連続の防御率1点台を達成し2年連続の最優秀防御率も獲得。
同じイニング数を平均的な投手が投げる場合に比べてどれだけ失点を防いだかを表すRSAAでも1959年の稲尾以来プロ野球史上2人目となる4年連続40点以上を達成。
オフにはアリゾナ・ダイヤモンドバックスが獲得資金として8000万ドル(約65億6000万円)を用意するなど、
ポスティングシステムでのメジャー挑戦が取り沙汰されたが、10月19日に自身の公式ブログで日本ハム残留を宣言した。
契約更改では、前年までの総額8億円プラス出来高払いの3年契約から出来高なしの単年契約を結び、現役日本人選手では球界最高年俸となる5億円でサインした。
24歳での5億円到達は、1998年に当時オリックス・ブルーウェーブに在籍したイチローの25歳を抜いて史上最速&最年少での到達となり、
先発投手で5億円を突破したのも史上初となった。

2011年、4月12日、球団史上最長となる5年連続開幕投手を務めたが、自己ワーストの7失点を記録。
4月26日の対ソフトバンク戦で史上129人目となる通算1000奪三振を達成した。
6月15日の阪神戦で3回裏2死3塁の場面で、打者の新井貴浩に投じた3球目が高く浮いて暴投となり、
この間に3塁走者のマット・マートンが本塁に生還し、この失点で5月10日楽天戦から続く連続無失点記録がプロ野球歴代11位
(現役選手では藤川球児に次いで2位)の46回2/3で止まり、パリーグ新記録の4試合連続完封も逃した。
交流戦では43回1自責点で防御率歴代1位の0.21を記録。
6月30日のロッテ戦で今世紀最速となる56試合目での10勝目を挙げた。
シーズン前半戦は13勝2敗、防御率1.44、140奪三振を記録。ファン投票、選手間投票共に1位で、5年連続5度目のオールスターに選出された。
シーズン後半戦は5勝4敗、防御率1.43、136奪三振を記録。最終的には自己最高の232イニングを投げ、
自己最高の防御率1.44、自己最多の18勝、WHIPは先発投手の中で最小の0.83、1993年に野茂英雄が記録して以来のシーズン250奪三振、
日本プロ野球史上初の5年連続防御率1点台を記録し、RSAAでも史上初となる5年連続40点以上を達成。
また6年連続で2桁勝利を挙げたが、6年連続2桁勝利の記録は現役の投手では西武の西口文也の7年連続以来の記録となる。
クライマックスシリーズファーストステージでは西武と対戦。初戦に先発し、7回1失点の好投を見せて後をリリーフ陣に託したが、
9回に抑えの武田久が同点打を打たれてしまい、勝利投手を逃してしまった。
結果的に延長10回に勝ち越され敗れた。
次の試合でも敗れCS敗退となった。
CS第1戦の先発が日本最後の登板となってしまった。
この年は2008年以来3年ぶりに自身の記録を更新する3度目の沢村賞選考基準全項目達成をしたが、
同じく基準を全項目を達成し勝利数、完投数、防御率、勝率で勝る田中将大に2対3で惜しくも敗れた。
沢村賞の選考基準の全項目達成しながら受賞を逃した回数が複数回となるのは史上初の事態となった。オフにはポスティングシステムの行使を申請したことを自身のブログで表明。
トロント・ブルージェイズ、ニューヨーク・ヤンキースなども入札に参加したことが報じられたが、
12月20日にテキサス・レンジャーズがポスティングにおいてドルベースで松坂大輔を上回る史上最高額の5170万3411ドルで交渉権を得たことが発表された。

レンジャーズ時代
2012年、1月18日にレンジャーズと6年5600万ドル+出来高400万ドルの総額6000万ドルで契約合意したことを発表し、背番号は日本ハム時代と同じ「11」に決まった。
また、同日に妻紗栄子との離婚も発表。
ダルビッシュは以前「メジャーに行くなら、野球をやめる」と公言していたが、24日の日本ハム退団会見の席で
「僕は、相手打者に強い気持ちで向かっていくのが好き。その相手に試合前から『打てないよ』とか『投げないで』とかいわれ、
フェアな対戦をしていないんじゃないかと思った。純粋に、すごい勝負がしたかった」とメジャーリーグ移籍に至った心境の変化を語った。
4月9日のシアトル・マリナーズ戦でメジャー初先発。
初回に4失点を喫するなど、5回2/3を8安打、5失点、5奪三振、5四死球の内容だったが、打線の援護に恵まれメジャー初勝利を挙げる。
初回4失点以上でのメジャー初登板初勝利は1910年にセントルイス・カージナルスのビル・スティールが達成して以来102年ぶりの記録だった。
24日のニューヨーク・ヤンキース戦では黒田博樹と投げ合い、8回1/3を7安打、無失点、10奪三振、2四球で最速97mph(約156km/h)も記録する投球で3勝目を挙げる。
4月は5試合の登板で4勝0敗、防御率2.18、WHIP1.42の成績でリーグ月間最優秀新人を受賞。
5月27日のトロント・ブルージェイズ戦では腰の張りで5回を投げて降板するも、NPB/MLB通算100勝目を挙げる。
前半戦は16試合の先発で10勝5敗、防御率3.59、WHIP1.36の成績を残し、最終投票でオールスターに選出される。
最終投票の直前にはTwitterでの投票が可能になり、チームメイトと共に自身のTwitterで投票を呼びかけた。
オールスター前日の会見では「すごい選手ばかりなので変な感じがする。
どういう形であれ、ここにいるということは、成長したなと思う」とコメント。
オールスター当日の登板はなかったが、デビッド・プライスやジョー・マウアーらと会話し、
「僕にとって初めてのオールスターで何人かの選手といろいろな話ができて楽しかった」とコメントした。

後半戦は最初の6試合で与四球率6.15を記録する制球難に陥り、
8月2日のロサンゼルス・エンゼルス戦ではプロ入り後のキャリアワーストとなる1イニング6失点を喫するが、
GM補佐のグレッグ・マダックスから指導を受けたり、デビッド・プライスの投球フォームを参考にするなどして投球フォームを改良。
以降の7試合では与四球率1.77と制球が安定し、9月8日のタンパベイ・レイズ戦では奪三振の球団新人記録を更新。
14日のマリナーズ戦では岩隈久志と投げ合い、7回2安打1失点の好投で15勝目を挙げ、200奪三振に到達。
20日のエンゼルス戦では8回4安打1失点の好投で新人の日本人選手史上最多となる16勝目を挙げる、
シーズン通算ではリーグ6位の16勝と同5位の221奪三振を記録するが、チームはレギュラーシーズン最終戦で地区優勝を逃す。
ポストシーズンではボルチモア・オリオールズとのワイルドカードゲームに先発し、6回1/3を5安打3失点の投球を見せるも、
チームは敗退して自身も敗戦投手となり、ディビジョンシリーズ進出を逃した。
新人王投票では3位に入る。

2013年、開幕2戦目となる4月2日のヒューストン・アストロズ戦でシーズン初先発。
9回2死まで無安打、無四球、自己最多の14奪三振、最速97mph(約156km/h)を記録する快投を見せるが、
27人目の打者マーウィン・ゴンザレスに111球目となる初球を中前安打され、完全試合を逃し降板。
マイケル・カークマンが後続を抑えシーズン1勝目を挙げる。
9回2死から完全試合を逃したのは史上11人目だった。
19日のマリナーズ戦ではNPB/MLB通算1500奪三振を達成。
5月5日のボストン・レッドソックス戦では、アメリカン・リーグでは2000年のペドロ・マルティネスとマイク・ムシーナ以来となるシーズン2度目の14奪三振を記録。
11日のアストロズ戦では、ドワイト・グッデンに次ぐメジャー史上2番目の速さとなる37試合目での通算300奪三振に到達。
5月27日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦では自己最多タイの14奪三振を記録し、日本人選手初の両リーグ最速でのシーズン100奪三振に到達。
前半戦を18試合の先発で8勝4敗、防御率3.02、WHIP1.05、リーグ1位の157奪三振の成績で折り返し、選手間投票で2年連続のオールスターに選出される。
右僧帽筋の張りで7月10日にDL入りしたため、2年連続でオールスター当日の登板はなかったが、
当日はジャスティン・バーランダーらと英語で会話するなどして、「素晴らしい選手たちに囲まれながら、楽しむことができました。またぜひ戻ってきたいです」と語った。

メジャー通算50登板目となった8月1日のダイヤモンドバックス戦では7回を5安打、無失点、自己最多タイの14奪三振の投球で10勝目を挙げ、
シーズン4度の14奪三振は球団新記録となり、3度目の無四球での14奪三振以上は1997年のロジャー・クレメンスと2001年のランディ・ジョンソン以来となった。
12日のアストロズ戦では8回1死までノーヒットノーランの好投で自己最多の15奪三振を奪いシーズン200奪三振に到達。
30日のミネソタ・ツインズ戦で球団新記録となる月間64奪三振を記録。
9月4日のオークランド・アスレチックス戦では日本人シーズン最多記録となる240奪三振に到達するが、シーズン自己ワーストの5失点で7敗目を喫する。
24日のアストロズ戦でメジャー移籍後初の200イニングに到達。
後半戦は14試合の先発で防御率2.59、WHIP1.11を記録するが、1989年のオーレル・ハーシュハイザー以来となる4度の0-1での黒星を喫するなどもあり勝敗数は5勝5敗に終わる。
シーズン通算では13勝9敗、リーグ4位の防御率2.83、同4位のWHIP1.07、両リーグ最多の277奪三振を記録し、野茂英雄に次ぎ日本人史上2人目の最多奪三振を獲得。
このシーズンの奪三振率11.89はメジャー歴代9位となった。チームはレイズとのワイルドカードゲーム残り1枠を争うワンゲームプレーオフに敗れポストシーズン進出を逃す。
サイ・ヤング賞投票ではマックス・シャーザーに次いで、日本人史上最高位となる2位に入る。

2014年、3月30日に首の凝りで15日間の故障者リスト入りし開幕を迎える。
4月6日にリストから外れ、5月9日のレッドソックス戦では7回2死まで完全試合としたものの、デビッド・オルティーズの打席で初出塁を許す
(打球は二塁手と右翼手の間に落ち、右翼手の失策と判定される)。
その後も9回2死まで無安打無得点を続け、ノーヒッター達成まであと1人の場面で再びオルティーズが二遊間を抜く打球を放ち初安打を許す。
試合は3対0でレンジャースが勝利したが、このオルティーズの安打で降板し、
MLB史上3人目となる9回2死からノーヒッターを2度以上逃した投手となった
(14日にMLB機構がこの試合の7回にオルティーズが失策で出塁した記録を安打に訂正し、被安打は2となった)。
6月11日のマイアミ・マーリンズ戦では6安打無失点の投球でメジャー初完封勝利を挙げた。
前半戦を17試合の先発で8勝5敗、防御率2.97、WHIP1.21の成績で折り返し、選手間投票で3年連続のオールスターに選出。
オールスター当日は3回に初登板を果たし1回を無安打無失点に抑えた。
7月28日のヤンキース戦で日本人選手では野茂英雄以来となるデビューから3年連続2桁勝利を達成。
また、日本ハム時代の2006年からNPB/MLB通じて9年連続で2桁勝利を挙げたことになる。
しかし8月13日に右肘の炎症で15日の故障者リスト入り。
その後リハビリを続けていたが、メジャー歴代最多のシーズン出場選手記録を更新するほど故障者が続出するなどの低迷でリーグ最下位となったチーム状況もあり、
9月6日にGMのジョン・ダニエルズがシーズン残り試合で登板しないことを発表した。
オフには山本聖子と交際中であることを自身のTwitterにて公表。

2015年、スプリングトレーニングの初登板で右上腕三頭筋の張りを訴え12球で降板する。
翌日の3月6日に受けたMRI検査で右肘内側側副靱帯の損傷が判明。
トミー・ジョン手術を受けることを13日に発表し、17日にジェームズ・アンドリュースの執刀で手術を受けた。
7月30日に山本聖子との間に男児が誕生したことを自身のツイッターで発表。

2016年、5月28日のパイレーツ戦で、2014年8月9日以来となるMLB復帰登板を果たす。
8月24日のレッズ戦ではNPB・MLB通じての初本塁打を記録した。
プレーオフでは10月7日の地区シリーズの第2戦に先発したが、5回5失点で敗戦投手となった。
レギュラーシーズンでは17試合に先発登板。7勝5敗、防御率3.41を記録した。

2017年、5月13日のフィリーズ戦でMLB通算50勝目を記録。
6月24日のヤンキース戦では10奪三振を記録し、日本人投手最多タイとなる通算31度目の2桁奪三振を記録した。

ドジャース時代
2017年の7月31日にマイナーリーグ所属選手3名との交換トレードでロサンゼルス・ドジャースに移籍した。
8月4日のメッツ戦で移籍後初先発登板を果たし、勝利投手となったが、ドジャースでの初登板で10奪三振を記録したのは、2002年の石井一久以来のことだった。

出典:画像、プロフィール:タレントデータバンク ウィキペディア goo

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