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6月13日お誕生日の有名人:本田 圭佑様

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本田 圭佑様 お誕生日おめでとうございます

本田 圭佑様の今年の運勢は?

本田 圭佑(ほんだ けいすけ、1986年6月13日)は、大阪府摂津市出身のプロサッカー選手。
ACミラン所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
日本代表。日本人アスリート初のMIT特別研究員、就任期間2年。

経歴
プロ入り前
大阪府摂津市出身。
両親は本田が小学2年生の春に離婚、自身は父のほうについた。
幼少時は鳥飼さつき園に通っていた。
摂津市立鳥飼北小学校2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始めた。
摂津市立第四中学校に入学。あだ名はゴリ。
その後、ガンバ大阪ジュニアユースに所属し家長昭博、安田理大、東口順昭らとともにプレーしたが、
当時からスタミナやスピードには難があり、ユースチームへの昇格内定が出なかったため、石川県の星稜高校へ進学した。
1年時に高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝し、3年時には第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場して、石川県勢として初のベスト4に貢献した。
高校では、豊田陽平や橋本晃司とともにプレーした。
2004年には特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加し、ナビスコカップなどの公式戦にも起用されるなど数試合出場を果たした。
同時期に横浜F・マリノスの練習にも参加したが獲得は見送られた。

名古屋グランパスエイト
高校卒業に際して複数のJリーグクラブから勧誘を受け名古屋とプロ契約を結んだ。
名古屋加入時の契約では本人の希望により「オファーがあれば海外クラブへの移籍を認める」という条項が盛り込まれていた。
開幕戦から先発出場してアシストを決め翌年にはレギュラーに定着した。

VVVフェンロー
VVVフェンローでの本田(2009年)
2008年1月、エールディヴィジ(オランダ1部リーグ)のVVVフェンローへ移籍した。
加入会見ではオランダ語で挨拶を行い、その日のうちに昨シーズンまで名古屋の監督を務めていたセフ・フェルホーセン率いるPSVとの試合に出場した。
残りのシーズンはレギュラーとして出場したもののクラブは8月にエールステ・ディヴィジ(オランダ2部リーグ)への降格が決定した。

2008-09シーズンはVVVフェンローに残留した。
同シーズンのリーグ戦では、攻撃の軸として開幕から首位を独走するチームの原動力となり、シーズン途中からはフリーキッカーとキャプテンを任された。
リーグ戦36試合に出場し16ゴール13アシストを挙げチームの2部リーグ優勝と1部復帰に貢献し2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した。

2009-10シーズンもフェンローで開幕を迎え前半戦18試合に出場し6ゴールを記録した。
またオランダのテレビ番組で前半戦のベストゴールTOP10が発表され、本田がFCユトレヒト戦で決めた豪快なミドルシュートが選出された。

CSKAモスクワ
CSKAモスクワでの本田(2010年)
2010年1月、冬の移籍市場で移籍金900万ユーロ(約12億円)、4年契約でロシア・プレミアリーグのCSKAモスクワへ完全移籍。

2010年2月24日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦がCSKAでの初出場となり同時にチャンピオンズリーグ初出場となった。
3月12日のリーグ開幕戦であるアムカル戦では、試合終了間際の後半ロスタイムに決勝点を決め、
チームのシーズン初勝利に貢献。
セビージャとのアウェーでの2ndレグでは、前半39分にCL初のアシストを、後半10分にはゴール約30mの位置から決勝点となる直接FKを決め、CL初得点。
2戦合計3-2でCSKAが勝利し、日本人初、クラブ史上初、ロシアリーグ所属チーム史上初となるCLベスト8への原動力となった。
この試合ではマンオブザマッチに選ばれ、さらに1stレグ2ndレグともに欧州の複数のスポーツ紙にてCL週間ベストイレブンに選ばれた。
リーグ前半終了時点でのロシアスポーツ紙の採点 では平均5.96で全選手中10位(1位は6.25)と、
VVV時代とは違う不慣れなボランチでの出場が多いながらも高く評価され、シーズン4得点と結果を残し、CSKAモスクワのCL本戦出場権獲得に貢献した。

2011年5月22日に行われたロシア・カップ決勝のアラニア戦では途中出場で決勝点をアシストし、CSKAモスクワの2シーズンぶり6度目の優勝に貢献した。
2011-12シーズンは、主にボランチではなく得意とする右サイドハーフで起用されたことで得点に絡む機会が増え、
18試合で前シーズンを上回る7得点を挙げるなど好調を保っていたが、
8月28日のスパルタク・モスクワ戦で右膝半月板を損傷し、後日手術を受け、全治には最大3カ月と発表された。
11月18日、ルビン・カザン戦で2カ月半ぶりに復帰を果たすも、右膝の故障が再発しまたも戦線離脱となり、CLグループステージは全試合欠場した。
2012年1月、イタリア・セリエAの強豪SSラツィオへの移籍が取り沙汰されたが、高額な移籍金がネックとなり移籍は破談となった。
2012年2月21日、CL決勝トーナメント1回戦1stレグレアル・マドリード戦で、約3カ月ぶりに公式戦復帰を果たした。
しかし、2ndレグは左太ももの負傷で出場できずチームも敗退した。
その後4月21日のディナモ・モスクワ戦で復帰、以降出場を続け、最終節ルビン・カザン戦で9カ月ぶりの得点を決めるもチームは敗れ、CL出場権を逃した。

2012-13シーズン、開幕から前半戦18試合で7得点を挙げるなど好調な活躍を見せていたが、2013年2月に左足首の負傷が分かりチームを離脱。
以後、長期に渡り治療を余儀なくされ、3月のW杯アジア最終予選ヨルダン戦も欠場したが、4月21日のスパルタク・モスクワ戦で約4カ月半ぶりに実戦復帰を果たした。
同シーズン、CSKAモスクワは6シーズンぶり4度目のリーグ優勝を達成し、自身にとっても初の欧州一部リーグでの優勝となった。
またロシア・カップも2シーズンぶり7度目の優勝をし、リーグ戦と合わせて国内2冠を達成した。

2013-14シーズン初戦となったロシア・スーパーカップ・ゼニト・サンクトペテルブルク戦では、2得点を挙げる活躍でCSKAモスクワのスーパーカップ制覇に貢献した。
またCLグループリーグではバイエルン・ミュンヘン戦とFCヴィクトリア・プルゼニ戦で1ゴールを決めるなど2G2Aの活躍を見せたがチームは敗退した。
一方、リーグ戦では18試合で1ゴールという不本意な結果に終わり、2013年12月、契約満了でCSKAモスクワを退団。

ACミラン
2013年12月11日、イタリアセリエA・ACミランへの完全移籍が正式発表された。
契約期間は3年半、背番号は自ら希望した「10番」に決まった。
2014年1月12日、セリエA第19節サッスオーロ戦で途中出場しセリエAデビューを果たした。
1月16日、初の先発出場となったコッパ・イタリア5回戦スペツィア戦で、移籍後初得点を決めた。
4月7日、セリエA出場12試合目となるアウェーのジェノアCFC戦で、リーグ戦初得点を決めた。
その後、左足首捻挫で一時チームを離脱し約2週間後に復帰するも、
インテル所属の長友佑都との日本人対決が注目された5月5日のミラノダービーでは出場機会はなく、移籍1年目は不完全燃焼に終わるシーズンとなった。

2014-15シーズンは開幕戦SSラツィオ戦で右WGとして先発出場し、先制点を挙げた。
第2節のパルマ戦では、ジャコモ・ボナヴェントゥーラの先制ゴールのアシストと、
イニャツィオ・アバーテのクロスを頭で決め、1ゴール1アシストを記録した。
第7節のエラス・ヴェローナFC戦では2得点を挙げたが、その後は得点無しでシーズンを終えた。

2015-16シーズンは監督がシニシャ・ミハイロヴィチに交代した事もあり、当初より出場機会が少なかった。
2試合連続で出場機会がなくチームが2連敗を喫した10月4日のナポリ戦の後、チーム批判とも受け取られかねない発言をした。
前半戦は12試合に出場(内先発出場は5試合)。
得点はなかったがアシストを記録している。
2016年1月30日のミラノダービーで決勝点をアシスト、ノーゴールながら伊3紙から最高点が与えられた。
2月14日のジェノアCFC戦でシーズン初ゴールを記録した。

2016-17シーズンはヴィンチェンツォ・モンテッラが監督に就任しスソやエムベイェ・ニアンといった若くてスピードがあるウイングが起用された為、前半戦は出場機会が少なかった。
冬の移籍市場ではイングランドのハル・シティAFCからオファーがあったが断り残留を決めた。
2017年5月21日、ホーム最終戦のボローニャFC戦で今季初得点となる直接FKを決めた。
ミランの来季のEL出場を決定付ける得点でもあり、このFKはミランサポーターの選ぶ5月のベストゴールに選出された。
試合後、自身の公式Twitterを開設すると同時に今季限りでの退団を表明した。
ボローニャ戦後、ミラン情報サイト『ピアネタ・ミラン』から「良いテクニックを持っており、戦術的には貴重な選手であり、頭も良い。
それに非常にプロフェッショナルな選手だ」と評された一方で「ティフォージ(サポーター)から愛されなかった」と締め括られている。
5月28日、ミランとしてのラストマッチとなった最終節のカリアリ・カルチョ戦では、移籍後初のキャプテンマークを巻き、フル出場を果たしたがチームは敗れてしまった。

日本代表
石川県選抜において、左SBの位置からステップなしでサイドチェンジを送る姿が大熊清U-20日本代表監督の目に留まり、
2005年のFIFAワールドユース選手権・オランダ大会にU-20日本代表として招集され、
負傷明けの梶山陽平に代わって初戦のオランダ戦に守備的な中盤として先発。
しかし試合は前半にオランダが圧倒、後半は日本もペースをつかむ時間帯を得たが本田は途中交代となった(後半19分、水野晃樹。結果は1-2で敗戦)。
この後チームは16強に進出するものの梶山の復調もあって出場機会はなかった。
2006年にはA代表にも初招集されたが出場はなかった。2007年北京オリンピックアジア予選では主力として五輪出場権獲得に貢献した。

2008年6月に開催されたFIFAワールドカップ・アジア3次予選の対バーレーン戦でA代表デビュー。
8月に出場した北京オリンピックでは、中盤の主力として1次リーグ全3試合に出場して谷口博之や梶山陽平らとともに攻撃を牽引したが3連敗で1次リーグ敗退した。

2009年5月27日のキリンカップの対チリ戦で、A代表初出場の当時18歳だった山田直輝からパスを受け、A代表初得点を記録した。

日本代表でプレイする本田(2010年)
2010年6月に開催されたFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では4試合にフル出場。
大会直前にそれまで経験のないセンターフォワードのポジション(0トップ)に抜擢、
グループリーグ初戦のカメルーン戦では決勝点をあげFIFA選定の「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された。
第3戦のデンマーク戦にて直接フリーキックで先制点を挙げ、岡崎慎司へのアシストも記録し日本代表の決勝トーナメント進出に貢献、
この試合でも「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された。
決勝トーナメント1回戦のパラグアイ戦では強烈なミドルシュートを放つなど強い印象を残したが、PK戦の末日本代表は敗れた(記録上は引き分け)。
しかし敗戦チームからは異例の今大会3度目となる「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された。

2011年1月にカタールで開催されたアジアカップではグループリーグ第3戦のサウジアラビア戦を除く5試合にフル出場。
グループリーグ第2戦のシリア戦ではPKで日本代表の通算1000点目となる勝ち越し点を決めた。
準決勝の韓国戦でも全2得点に繋がるプレーを見せ、この2試合で「マン・オブ・ザ・マッチ」に選ばれた。
準々決勝のカタール戦での2得点に繋がる縦パスを含め、
出場した試合で日本代表が挙げた全9得点中6得点に絡む活躍で日本代表の2大会ぶりのアジア制覇に貢献し、同大会の最優秀選手(MVP)に選出された。
同年2月7日、全国のサッカー担当記者の投票による2010年度のフットボーラー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)に有効投票202票のうち、75票を集めて初選出された。

50年の歴史がある賞だが、海外のクラブでプレーする選手が受賞するのは本田が初めてであった。
3月29日に開催されたチャリティーマッチ「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」では、
1点目のきっかけとなったフリーキックを獲得し岡崎の2点目をアシストする活躍を見せた。

2012年6月8日、2014 FIFAワールドカップ・アジア4次予選・ヨルダン戦で自身A代表初のハットトリックを達成。
本田のハットトリックは高校時代以来でプロ入り以降は初めてであり、
またワールドカップ最終予選における日本人選手のハットトリックは、97年フランス大会予選の三浦知良以来15年ぶり、史上2人目の快挙となった。
2013年の6月4日のオーストラリア戦では後半終了間際にPKを決め、ブラジルワールドカップ出場を決めた。

2013年6月中旬に行われたコンフェデレーションズカップではグループリーグ第2戦のイタリア戦でPKで先制点を決めるが3-4で敗戦した。
最終的にチームはグループリーグ3戦全敗で敗退した。
しかし、本田自身はFIFA選定のグループリーグベストイレブンにアンドレス・イニエスタやマリオ・バロテッリ等とともに日本人で唯一選出された。
同年、12試合で8ゴールを上げる活躍でチーム得点王となった。

2014年6月に開催された2014 FIFAワールドカップでは全試合トップ下でスタメンフル出場。
グループリーグ第1戦コートジボワール戦では先制点を決め、日本人のワールドカップ最多得点を記録したがチームは逆転負け。
第2戦ギリシャ戦ではチームは引き分けに終わったもののFIFA選定の「マン・オブ・ザ・マッチ」に選出された。
第3戦コロンビア戦では、岡崎慎司のゴールをアシストしたが、チームは1-4で敗れグループリーグ最下位での敗退となった。

アジアカップ2015ではグループリーグで3得点(その内2点がPK)を決めるも、PK戦となった準々決勝UAE戦ではPKに失敗。
チームも敗れた。
同大会グループリーグでのベストイレブンに選出されている。

2015年11月17日に行われた2018 FIFAワールドカップのアジア2次予選のカンボジア戦でゴールを決め、
日本サッカー史上初のワールドカップ予選5試合連続ゴールを記録。
2016年3月24日に行われたアフガニスタン戦は欠場したものの、3月29日に行われたシリア戦で得点を挙げ、
ワールドカップ予選6試合連続ゴールを達成[51]。9月1日のUAE戦では先制点を挙げ、
7試合連続ゴールを記録したが次戦のタイ戦では得点を挙げられず、連続ゴールは7試合でストップした。

2016年10月11日、W杯3次予選のオーストラリア戦では約4年ぶりとなる1トップで出場し、原口元気の得点をアシストした。

出典:画像、プロフィール:タレントデータバンク ウィキペディア goo

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